若さは何物にも勝る宝である

 若い、というだけで、素晴らしいことだなあと思います。保育園児から高校生まで身近に見ながら思うし、今の会社の最も若いスタッフを見ていても思う。

 私がある程度好意(異性という意味でなく、人間的に)を持つ人によく聞くのは、「何でもできるし、何にでもなれるよ。何する、何になる?」と「将来の夢は何ですか?」です。

 高校生や中学生からは、「なりたい職業ランクイン」の上位出てくるような職業が答えとして返ってくる。

 社会人になると、答えに窮する人が多い。私も何になろう?って思うもんね。ある程度、自分の名前で仕事をしてきた人の方が、◆◆したい、ということがぱっと出るような気がする。

 まあ、変なこと聞く人だなーと思われていて、お茶を濁しておくか!みたいな動機での回答も多いと思う。
 それでも、本人が「あっ」と口を押えるような、ふと臓腑に貯めていたことがこぼれちゃった、といった回答もあって、わあー、それはすごい! お互い頑張りましょうね! とうれしくなるようなこともある。

 何がうれしいって、人生は連続だけど連続じゃない、ということを確認できるからだと分析しています。

 例によって、私も金曜日、仕事を残して帰ってきていて、まあ月曜日も無事に会社に来れるよねえ? と考えている。
 でも、この生活が定年までずっと続くぞ、とも考えていない。実際、退職した前の会社に入ったとき、定年まで骨を埋める気でいた。けど、ご覧のとおり、タ、ダー。退職しているもんねえ。

 毎日は連続しているけど、同時に、その毎日を取り巻く状況は変化している。ある日、ひょいっと別の線路に乗り換える、ということはあり得る。そのときに、どうやって生きるとか、何をして生きるとか、考えておいた方がいい。

 人が株式投資だと考えれば、必然的に、資金は自分の時間になる。株は余剰資金で買えばいいのだし、損切もある意味簡単だけど、果たして、自分の時間のどれほどを、余剰資金と言い切れるだろうか?
 結論から言うと、私は、若ささえも余剰資金ではないと思っている。資金(残り時間)は絶対減っていく。しかも、どれだけ残っているかはわからなくて、日本の人口統計又は身内に関する「過去から推察される状況」しか、計算する根拠がない。

 ではその資金(残り時間)で、どれだけ得たかを計る物差しは何か。私は結局、「満足感」だと思う。

 前職、そこそこのお給料と、そこそこの企業ブランドと、将来の安定を得て働いていて、世間体という意味でのゲインはそこそこあった。でも、最後の日々は「よくないこと」まで考えるほど弱っていた。その満足感は? まあお世辞にも良いとは言えない。
 だって、「」の中、実践してたら今の私、今の家族の環境はない。
  生存本能  ハンバーガー、ジェットコースター!

 じゃあどれくらい我慢して、「状況が変わるのを待つ」といいんだろう? これに対する答えを、私は持っていない。
 ただ、先が見えれば耐えられるということはある。私は業務過多とハラスメントが少なくとも十年は続く(あんぐり)見込みであり、それまでにマネジメントによる介入があるとも期待できなかったので、耐えられなーい、と前職というゲームから降りましたが、会社によって、環境は違います。潮目が変わるのを待てるか。そこまで我慢できるか。我慢できそうにない時は、損切も大事だと思います。

 話がこちゃっとしてきたのでこの辺でまとめると、

 若さは資金(残り時間)の多さを示すので、素晴らしい。なぜか。満足感を追求するためのトライアンドエラーの回数をより多く持てるから。
 ただ、年をとっても、残り時間で、満足感を追求することは大事。
 人生は連続しているようで連続していない。環境は変わっていく。
 潮目を見切るのは難しいが、我慢できそうにない(自分の生存が脅かされる)ときは、迷わず損切!
 サンクコストはあきらめるのよー。
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夜の運転の友たるコンタクトレンズ

 小学生、中学生当たりの英語教育について、ひとくさり書いたところで、カテゴリ「追加」を押したら、記事がすべて消えたわ。

 残念だわ。

 これはシステム上のエラーなのかな、それとも自分で学習すべきことなのだろうか。

 つまり、カテゴリ追加は、記事を書く前に「しか」してはならないと学習する。



 このブログは、記事書きためは全くなくて、オリジナル記事を毎日リアルタイムでアップしています。

 そのため、こうしてtry and errorを繰り返しているのですが、こういうことがあると、がっかりするな。

 もういちど同じ話をするのは少し疲れるので、別の話をする。



 薄暮以降は、夜明け明るくなるまで、車を運転したくない、という欲求があります。理由は、とても見にくいから。もともと強い近視のため、コンタクトを入れているので、これまた、できる限り早く外して、眼鏡にしたいという欲求がある。目が疲れるからー。
何だって?! コンタクトレンズをアマゾンで?!  ハンバーガー、ジェットコースター!

 もともと眼鏡を作った時に、極度の近視+乱視を持っており、コンタクトのようには視力が矯正できないので、夜間の運転は禁忌と言われていた。1回だけ、帰りの遅くなった家人を駅に迎えに行った時、コンタクトをはめる暇もなくサッと外出し、眼鏡のまま車を運転したのだが、ハレーションなのだろうか? 対向車の光がまぶしく、ひどく広がって見えたため、それ以降は、どんなに遅い時間、短時間の運転でも、夜間はコンタクトをはめることにしている。

 ただ、これは眼鏡のレンズの仕様なのか、加齢による眼機能の低下なのか、乱視の影響なのかわからないなー。私よりも年上の女性は、視力矯正は眼鏡のみで、とてもよいレンズを使っているものの、同様に夜間はまぶしさを感じるといっていた。

 という、落ちのないお話になりました。消えた記事のお話はまたこんど。

  
  

仕事でつらいときでも勉強はしていた

 ベストティーチャー! 1か月限りでしたが、やっていました。一番、鬱屈とした、調子の悪い時にやっていた。勉強になったけど、スカイプがどうにも性に合わずに、辞めてしまいました。あと、会費も1か月9800円と、私の経済規模には負担が大きかった。

 概念はすばらしいなーと思っていました。続けられるものだったら続けたかった。

 何がいいって、一連の流れ。自分で会社における状況設定をした上で、自分が話したい英語をまず作文し、講師がそれに英語で返信し、お互い5往復したら、別講師が自分の作文に赤ペンを入れてくれて、きれいになった英語の5往復で台本完成、スカイプ英会話、というもの。

 私はもう5年ぐらい、独学(書籍、web)で英語の勉強を趣味として続けているのですが、どうしても出力、しかも、社会人として求められるqualityの出力を学ぶことが難しいと感じています。
 それに比べて、入力はとても簡単! 自分の好きなもの、面白いものに繰り返し触れて、その表現に出会う機会が多ければ自然と入力が済んでしまう。 でも、社会人にふさわしい出力につながる入力が、私はまだ済んでない。

 ベストティーチャーは、その社会人英語の勉強が、しかも、自分からひねり出すこと、相手の反応を得ること、それを踏まえてまたひねり出すこと、という応用、また作文と同時にできるとは、画期的だわ!と思いました。
 もうほんと、スカイプがね…あと料金がもう少しお手頃ならね…

 作文で困るのは、圧倒的に、文法力不足によるものだと自己分析している。

 文法のベストweb講座は、今のところ、森タツロウさんの【英語学習ボックス】だと思います。
 英検準1級と英検1級の差は、語彙力…もあるけど、何より文法力だと思う。

 社会人向けのビジネスプロトコールが学べて、かっこいい俳優さんが出ていて、英語でも米語でもいいから面白いドラマがあったらすごく知りたい。まずは「好きな人を」真似ることから始めるから!

 とはいえ、ベストティーチャーは、ある程度基礎力がついて、sofisticatedな英語を話したい人にとっては、とてもいい教材だと思います。価格さえあえば。あと、スカイプ通話を好む場合は。
 

鏡に映る顔

 鏡に映る自分の顔で、体調の良しあし、気分の荒廃ぶりが分かる。

 退職を決意する前数か月は、夜遅い残業が体に堪えていたので、朝3時間早出していた。朝3時間+夕方1時間の計4時間。朝方にシフトしてしばらくは、「夕方~夜にかけて4時間残業するよりは体が楽だな、明るいうちに帰れるし」と思っていたが、稼働時間が変わらないのだから、体はやはりくたくただった。

 残業せずに帰る同僚が正直うらやましかったな。退職日の数日前に、別部署の上司から、「君にはもっと上の役職が付いているとばかり。だから長時間勤務と、過大な業務量は当然だと思っていた。」と言われた。
 ??? (もちろん、悪気がないのは伝わっていた。別部署にもかかわらず、折に触れ、目をかけてくれた上司でもあった。)
 それくらい、よくわからないな?という状況を経ての退職だった。

 退職できない、将来の自分のためにはここで踏ん張らなきゃ、と思っていた頃は、鏡に映る顔が今と違った。
 そもそも、体を壊しかけて何が「将来の自分のため」だ!、と今ならツッコミを入れたくなるけど、当時は、毎日、起きたくない、会社へ行きたくない、という思いを押しつぶして、暗い中、起きだして、台所でお湯を沸かすことから準備を始めていた。毎日、まあ人には言えない、まがまがしいことを思っていた。

 そういう「いけない」ことを思うと、顔がくすむなと今思いだす。

 退職を決めた日、桜を見に行った。桜、きれいでした。暗い穴に閉じ込められていた(あるいは閉じこもっていた)ような自分が、明るい日を浴びて、風に揺れる花手毬にそっと触れて、行き交う人の笑顔を見て、ぶわーっと浄化された気がした。

 私は私以外のものになれない。私の真似は誰にもできない。あいにくですが。

 桜を見た後、落ち合った友人は、本当につきものが落ちたね!と思ったそうです。二人でわはわは笑った。それから顔が変わった。くすみも消えて、顔立ちが明るくなって、鏡を見ると笑顔が映っていた。今もそうです。

バケツの底は網になっている

 ありがたいことに、恨みとかつらみとか、持っていかない性格 です!(少し迷いがあるかんじが、どうしようもなく表現されていますね!)
 それよりも、過去のことは、比較的、いいことしか思い出せない。もらったもののことばかり思い出す。奪われたもののことは、覚えてないなあ。これは恐らく、「去る者は日々に疎し」を地で行っているのだと思う。失ったもののことは、しばらく見ていないから、忘れたんだろう。

 私ねえ、バケツを持っています。みんなたぶん持っているよ。私のバケツは、底に網が張ってある。かなり粗い網だけど、張ってある網は、物事をきちんと仕分けてくれる。
 その内訳は、うれしいとか、楽しいとか、幸せ!とか、ふわっとぶわっと自分のheartが膨らむようなものと、嫌だ、悲しい、つらい、誰にも会いたくない、といった、heartがぎゅっと縮こまり、凝ったもの、どちらかです。
 目が粗いから、ぎゅーっと縮こまった感情は、網から落ちてしまう。代わりに、なんかふわーっとした、ふんわかした、ええもんだけ残る。ええもんしか持っていけない。

 つまり、幸せ!と思える心のありよう(を支えている環境や人生観)こそが幸いということです。

 そんな性格では苦労するねえ、と言われながら過ごしてきたけど、苦労は残りません。代わりに、あの時大変だったねー!と言い合える人が残る。ありがたいわ。